キャリアウーマンが長期的に入院する病気になった時 退職→起業という道を選ぶ理由

網膜剥離は突然に。

人生、何が起こるかわからないものです。私の網膜剥離も前兆も何もなく突然やってきました。そして、キャリアウーマンを退職するという、人生においてとても大きな決断をする後押しになりました。

2016年7月。

目はどこも痛くないのに、右目の見え方に違和感を感じました。目の中がゴロゴロしているわけではないのに、なんか視界が欠けるような感覚。そんな違和感を感じながらも、平日働いている分、日曜日は充実させたものにしたくて、フランス料理屋さんを貸し切ったアルゼンチンタンゴの音楽ライブに行っていました。

視界に違和感はあるものの、目は痛くないし、音楽は耳で聴くものですから、気になりながらも十分に堪能。

きっと明日起きたら治ってるんじゃないかなーと楽観的に思って休みましたが、明くる月曜日の朝も、違和感は治らず。痛みはないし、目をあっかんべーとしてみても赤くないし、異物も入ってないし、でも念のため、会社帰りに病院に行こうと、通勤電車の中で、会社近隣の眼科を検索し、なんとなくホームページが先進的に見えた眼科に、18時からweb予約をしました。

さすがネット社会!最近は便利な病院が多いですね。

その日の仕事は、定時直前まで、私が主催の会議だったのですが、後片付けもソコソコに、予約時間に間に合うよう急いで退社しました。

そして早速の視力検査と検診。コンタクトを外し、目の表面を見てもらったところ「非常に綺麗ですね」と先生からお褒めの言葉。コンタクトの長年愛用者だったので、目の負担は常に気にしてたのですが、綺麗だと言われてちょっと安心。

でもすぐに視界をチェックされ、左下が見にくい気がすると伝えると「うーん。瞳孔を開く薬をして、目の奥を見て見ましょうか。表面からはわかりませんから」

目薬を点眼されて、瞳孔が開くまで20分ほど待ちました。

直感でこれはなんかやばそうと感じ、スマホで症状を検索するも、瞳孔を開く薬が邪魔してぼやけて見えず。不安でそわそわしているうちに、診察室に呼ばれ目の奥の写真を撮りました。

その写真を見ながらの解説。とても分かり易かった。

私の網膜は、これでもかというくらい完全に破れ、右上に大きな穴が空いてました。その穴から水が入っており、破れている範囲が広がってきているとのこと。右上が破れているとレンズになっているので、左下が見えなくなるようです。

そして、先生は静かに言いました。

大変大きな病気です。手術になりますが、ここまで大きな穴は、簡単な手術ではありません。手術をしてもなんらかの後遺症が残る可能性があります。これ以上穴が大きくならないよう、絶対安静にしてください。大きな病院へ紹介状を書きますから、入院の準備をして明日朝一に病院に行ってください。なるべく早い方がいいです。

手術?後遺症?入院??もう、訳がわからくなりました。

目が見えなくなるかもしれない。想像するだけで、これから先の人生どうなるんだろう、ぐるぐるぐるぐる思考が巡りました。

でも私、意外にしっかりしていたようで、入院は何日くらいかかるのか?会社は何日休まなくちゃいけないか?コンタクトはしてもいいのか?って現実的な疑問をその場で解消し、会社の上司にしばらく休むことを伝えました。

家に帰ると母親が私以上にうろたえ心配してて、「もうご飯が喉を通らんかったわ。視神経がおかしいかなんかで、脳がやられとったらどないしよーおもて」と、ひどい顔をして出迎えられたので、私が気丈に振る舞わざるを得ず、まあまあ大きな手術だということもいえず、平然を装いながら、おそらくしばらくは入れないであろうお風呂に入り、入院支度をしてお布団に入りました。

その日の晩御飯はハンバーグでした。


原因は働きすぎ??

さて、網膜剥離。

この病気はボクサーに多く、目に強い衝撃が加わったりした時になりやすいようですが、私はボクシングはもちろんしませんし、全く思い当たる節はありませんでした。DVの彼がいるんじゃないか?と言う疑惑は一部で持たれましたが。

先生には、「飛蚊症が急にひどくなったとかない?」とも聞かれましたが、そもそも飛蚊症でもないし、ちょっと思い当たるとしたら、石鹸が目に入って、強くこすっちゃったくらいでした。

それくらいで網膜って破れるの?と思いましたが、視力の悪い人は、目が奥に深く伸びていて、目の周りの網膜がビヨーンって伸びているらしいです。風船がパンパンに張ってるような、そんなイメージなのでしょうか。なので、ちょっとした衝撃でビリっと破けることがあるとのこと。アトピーの人とかも、まぶたを掻いて破れることが多いらしいです。

超ド近視の私は、小学校高学年の頃から分厚いレンズのメガネっこでしたが、当時好きだった男の子にコンタクトを勧められ、中学3年生から愛用(おませ女子)。視力は0.1なく、視力検査は一番上が見えない超ド近視だったので、きっと私の目の奥はとっても深いんだろうな、と、納得しました。この目の奥の深さが、後々手術にかなりの影響を与えることになるのですが…

最初に行った病院の先生が本当に良い先生で助かりました。前日の診察で先生に忠告された、できるだけ静かに衝撃を与えないこと。これにはちゃんと理由がありました。

私の目は、網膜の破れたところから水が入ってきていて、視界が欠けて見えてるのですが、その水が瞳の真ん中に到達すると、術後も視界が歪んだり、下手すれば失明に至ることがあるとのこと。

右上に穴が空いていた私の場合、重力でどんどん穴が広がっていくので、できるだけ早く病院へ。そしてできるだけ安静に。と言う忠告だったわけです。

先生に言われた通り、入院覚悟の荷物を持って、朝早く家を出て、そーっとそーっと衝撃を与えないように歩き、朝8時半の受付開始時刻の15分前には到着して静かに順番を待ちました。

仕事の予定だった母親も私以上に相当心配だったらしく付いてきてくれました。「子供じゃないし、大丈夫よ」って言ったけど、後々、ついてきてもらって本当によかったと思う結果に。

早い時間に受付できたおかげで、9時半の診察予約が取れましたが、大きな総合病院で不安な時を過ごします。

大きな病気になって初めて、今まで何の不自由なく過ごしてきた日常生活がありがたいものに思えます。

今を大切に生きよう。そして、好きなように生きよう。


心配する思考停止の手術前

健康な人でも急に病気になる恐れがある。今の自分を当たり前に思わず、毎日を無駄にしないように。そう気づかせてくれた網膜剥離。

朝一で並んだ総合病院での診断結果は、緊急入院&手術


でした。

前日から覚悟していたので、かなり冷静でショックはあまりありませんでした。

それよりも、前日の写真と比べて、網膜の破れがかなり真ん中に近づいてて、一日遅かったら、瞳まで行ってたな。と、恐ろしくなりました。

不幸中の幸い。運が良かった。

手術は何件か予約が入っているらしく、一番早い時間で16時からに。

かなり時間がありましたが、尿検査や血液検査など、手術前の検査をしたり、手術の方法や、めちゃくちゃ不安になるような色々な可能性の説明を受けました。

稀に、稀に、と、合併症など怖い症状を言われましたが、だからって拒否できるわけなく、「説明を聞きましたよ」と承諾サインをたくさんしました。そういうルールになってるんでしょうね。

目の外からの手術と、中からの手術と、2つ選べたようではありますが、先生がオススメされたバックリング法という目の外からの手術をすることに。

図を用いて説明されましたが、簡単に要約しますと、目の外側を切って、目ん玉をぎゅっと前に出し、網膜の穴の端をバーナーで焼いて、シリコン巻いて、ぎゅっと縛ってくっつける。

そんな手術とのこと。

もう何が何だか状態でしたが、とりあえず、お願いします。って感じです。

術後がちょっとしんどいですが、女性は男性に比べて痛みには強いですからね、まあ大丈夫でしょう。と、ニコニコ笑顔の先生。

昔、盲腸の痛みを我慢しすぎて、腹膜炎になりかけたことがあるほど、確かに私は多少の痛みには強いけど、やっぱり痛いんだ。そして、やっぱり男性って痛みに弱いんだと妙に納得。

色々説明してくれたのは、私の主治医となる、メガネの若いイケメン先生でしたが、偶然にも亡き父親と同じ名前で、勝手な親近感と根拠のない安心感を得ました。そして今回執刀してくれるのは、その若い主治医の先生と、診察してくれた先生。2人で症状見ながら手術を進めていきますから、安心してくださいね。と言われました。

私はこんなとき、結構根性座ってるようで、大きな手術で痛みを伴うと聞いても、もう、運やな。と、心配する思考を完全停止させました。先生を信じて、任せるしかない。心配しても無駄や。

これくらいの肝っ玉、仕事でも発揮できれば、ストレスも軽減されるのでしょうが。なかなかですよね。


全てが聞こえる手術中

網膜剥離の手術は2時間くらいですぐに終わるはずでした。なのに、4時間半の大手術に。16時に手術室に入り、病室に戻ったのは20時半。

さて、その手術室の模様ですが、気分をリラックスさせようと、GReeeeNが流れてました。(医者繋がり??)

明日ー、今日よりも好きになれる〜♪溢れる想いが止まらない〜♪

ノリノリな曲。

音楽聴きながら、右目にはシールみたいな薄いシートをぺたーっと貼って、いざ、手術スタート。部分麻酔なので、先生の声はぜーんぶ聞こえてるし、ボワーンと灯りが見えてます。

ところどころ意識朦朧としてたので、全部の会話は覚えてないですが、目の手術ってすごく難しいんですね。言ってみれば、ゼリー状の物体の破れたところの端を バーナーで燃やして、細い糸でシリコンを縛り付けるわけですから、思いっきり手先が器用でないとうまくいかない。

「うん、そこそこ、その辺じゃない?」
「さすが、バッチリやね〜」

と前半はお互いを褒め合いうまく行ってそうでした。

ところが、「わー、思ったより深いなー」と、途中で先生がボソッとつぶやきました。近視の人は目が奥に深く伸びてるので、網膜が破れやすいと聞きましたが、私の目、思ったより奥に深いようです。なので、糸でぐるっと縛るのが、おそらく大変なのでしょう。

「んー、ちょっとずれた、もう一回…」
「いや、もう少しこっちかなー」
「○○先生やったらどうするかなー?」

何度も何度もやり直しをされていてかなり悪戦苦闘されてる様子。普通ならここでかなり不安になりそうですが、私の場合かなり冷静。ダメならダメで仕方ない。という思いと、これ、めっちゃ良い実例提供してるよね?私!若いイケメン先生、すごいスキルアップちゃうん?日本の医療に貢献してる!と、異常なまでの前向き。仕事もこう考えられれば、ね。

そして、視神経付近なのか、普通は引っ張るような感じでかなり痛いのかもしれないけど、なぜか痛気持ち良い感じに。目の奥の眼精疲労の押してもさわれないツボを、ぎゅーっと伸ばしてくれてるような そんな気持ちよさを味わってました。

そして手術の途中ですが、会話にも出てきた○○先生へ、お電話をかけられました。

「あ、もしもし先生?こんな状態でして、あ、はい、よろしくお願いします。」

どこか別のところで会議だったようですが、終わったら来てくれるらしく、私のオペは途中から3人になりました。○○先生も、「わー、これは深いな。」と一言。そしてこれまた二度ほどやり直しながら、ようやくポジションが決まったようで、「慎重に、慎重に。」と声を掛け合ってました。

途中、糸がどっかへ行ってしまったようで、「あれ?どこ行った!?」「もう、やり直すのは精神的に限界やー」「焦らずに焦らずに」「やっぱ年取ると目がな〜、老眼入るわ〜」など、本音が出てましたがなんとか山場を終えたようで。

そして私はというと…

トイレに行きたい。

そう、点滴しながら4時間も手術、それはそれは限界です。先生は、「ごめんな〜、もうすぐ終わるから。ここでしたくないでしょ?」って、そらそうや!
いくらなんでも、まだ女は捨ててない。できん。と最後は我慢しまくり、手術室からトイレへ速攻。(車椅子で)なんとか事なきを得たのでした。人生の中で一番トイレ我慢したかも。

そして、手術室から戻った時の母親の心配そうな顔と言ったら、もう。そら、2時間で終わると言われたのに、4時間半も出てこなかったら、誰でも不安になりますね。

私はうつ伏せ状態を保たねばならず、何もできない状態でしたから、付き添いがいてくれて助かりました。ありがとう。

途中、○○先生登場で、3人がかりのオペとなりましたが、この○○先生、網膜剥離の手術のプロで、なんと、偶然この病院に来ていたらしいです。

偶然です、偶然!

もし、この先生の登場がなかったら、おそらく私の視界は歪んでてスッキリ治らなかったのです。私ってどこまで強運なの!そう思わずには入られませんでした。

心配しても、しなくても、結果は同じなんだから、心配しないほうがいいですよね。どんな場面でも、心配しない。信じちゃおう。


リトリート入院生活

会社を長期休まないといけないことを、迷惑がかかると心配していましたが、私は昨年度、勤続15年の長期休暇を取った際に、チームの方に仕事をお任せしたこともあり、それが功を奏したのか、突然の離脱でもなんとか回ってたようです。(ありがとうございます)

とはいえ、復帰した時はやはり大変だったのか、握手を求められました。仕事は、突然自分が抜けてもいいように、誰でも引き継げるようにしておくのがベストですね。会社のためにも。組織で働いているのであれば。

さて、私の網膜剥離術後の入院生活。


日頃時間に追われてたので、ゆっくり自分の時間が持てるのを密かに楽しみにしていました。意外に居心地のいい病室でしたし。思う存分、本を読もう!と思い、たくさん本を持ち込んだのですが、読書、テレビ、スマホは禁止されました。

右目の手術だから、左目はいいのでは?と思ったのですが、左目を使うと右目も自然に動いてるようでダメと。

なので、10日以上もの入院生活中、私はテレビを見ることもなく、スマホもほぼ見ることもなく、静かに自分に向き合いました。まるでインドでのリトリート生活。母親にも、「今年はインド行かんでも、病院でインドと同じような生活しとるやん」と言われました。まあ、似てるといえば似てるけど、全然状況は違うし。

網膜剥離の術後は、ガスを入れて傷口を押さえるために、大抵うつ伏せ状態で過ごすようですが、私の場合、ガスを傷口に当てるためには、座った状態で下向き加減になり、左に首を傾けておかねばならず、まさしく、「考える人」のような姿勢で終日過ごしました。腰、お尻、首、肩、全てがきつかった。

会社を辞めることについては、以前から考えてはいたのですが、「いつかはね〜」と思っていて、そろそろ決めようかと意思を固めようとした矢先、長期入院することになり、自分がいなくても仕事が回ることを確認し、有給もがっつり使ってしまい、やっぱり今年度だな。と感じました。

あまり本気に考えずに40までに会社辞める。なんてことを口にしてた頃も実はあったのですが、全て図られたように39歳というタイミングでやって来ました。そんなことあるんですね。人生は思い描いた通りになる。結果に行き着くまでの細かい事象は、予想だにしてないことばかりですが。

どんな人生を歩みたいか?

忙しさに流されて、考える時間が取れてない人が多いかもしれませんが、ゆっくり自分を見つめる時間の中で、自分にとって大切なものをぜひ見つけてほしいと思います。


カラダは正直。

突然ですが、心配性ですか?

私はかなりの心配性でしたが、たいていのことは開き直ることができるようになりました。人生、いろんな経験を積んでくると、肝が座ってくるというものでしょうか。ただ、自分のカラダ、健康についてはなかなか心配性から脱却できていません。

さて、今回の網膜剥離で、私は2週間入院しました。本も、テレビも、スマホも、ほぼ見ることなく、首を終日左へ傾けて、ベッドにはいつも座ってる状態で、2週間です。

手術した目は切開してるのですからもちろん腫れており、目やにも多く出ている状態。ガスを傷口に当ててはいるものの、ちゃんと傷が塞がるか、先生の診察を受けても、うまくくっつかなかったら。と術後の経過もとても心配でした。

さすがに未体験ゾーン。しかも目ということで心配はずっと私から離れませんでした。

最終的には、取り越し苦労で心配には及ばず、無事退院することになりましたが、しばらくは目をあまり使わず、安静にした方がいいということで、診断書を書いてもらって自宅療養を1週間。

自宅でゆっくりはしてたのですが、入院中、ずっと体を動かさずにいたので、子に乗って、おうちヨガをしました。

その際、おそらく頭に血がのぼるポーズをしちゃったからでしょう。白く治りかけていた白目が、真っ赤になったのです。

傷が広がってしまったのではないか?穴が空いたのではないか?一人不安な夜を過ごし、先生は、なんかあったら来なさいと言われていたので次回の予約日時を待てず、予約なしの外来へ。心配性MAXです。

そして、もう1つ。入院時から少し気にはなっていたことがありました。それは、右耳の閉塞感。プールに入っているような、キーンという音がするような、
そんな感じ。

ずっと首を曲げてたし、目と耳は繋がってるのかな?くらいの理解でしかなかったのですが、退院してからさらにひどくなった気がして、担当医ではない先生でしたが聞いてみました。「耳が痛いんですが、目とは関係ないですかね?」

先生は、この子はまた変なことをと思った様子。「関係ないですね」と半笑いで言われました。そっか、やっぱり関係ないよね。耳の閉塞感は目の手術は関係ない、となると、なんなのよ?と気になり、その日のうちに耳鼻科に行ってみました。

そこで検査をしたところ、診断されたのがメニエール病。

めまいも無いのになんで?目の次は耳!?と、相当ショックを受けました。めまいのないタイプのメニエールがあるらしいですね。聴力も低い音が聞き取りにくなってて、メニエールの症状だと言われました。

原因は、極度のストレス。疲れ。

仕事でなる人は聞いたことありますが、私、今、休んでるのに。病気や手術での知らぬまの極度のストレスと、変な体勢を維持しなければならなかった疲れがメニエールという形で現れたようです。

手術は全く臆することなく開き直りで臨みましたが、本当の気持ちはごまかせないようで、カラダは正直ですね。

外向きには笑顔を放ってるけど、本当は辛くて仕方がない。自分を偽り、我慢してしまう人。世の中に溢れていると思います。

でもカラダは正直。

どこかにガタがくる前に、無視している心の声を少しでも聞いてあげる時間を
作りたいものです。誰にも邪魔されない静かな空間で。


私は預言者。

網膜剥離になったことをまわりの人に伝えるとき、「大丈夫なん?」の後に必ず、働きすぎやからや!パソコン見すぎやん!休まなあかんってことや!と、お決まりのように言われてました。

網膜剥離は、目の使いすぎとかでなるのではなく、刺激や衝撃でなるのですが、みんながそう言いたくもなる程、働いているように見えたのでしょうね。人に言われて、ああ、やっぱり私働きすぎてたんや。と、自覚しました。

そして仕事を完全にやりかけで、急遽明日から入院です、だったので、チームの方には大変迷惑をかけました。メールを見た感じ、色々トラブルおきながらも仕事は回ってるのを見て、やっぱり私、仕事しすぎてたんだな、いなくてもどうにかなるもんだなーと、肩に力が入りすぎてた自分に気付かされました。

入院期間中に、有り余る時間の中で、自分の過去を振り返り、自分は何が好きなのか、自分はどう生きたいのか、その時の感情を書き記したメモが残ってました。

ゆっくりと。
ゆるゆると。
お上品に。

この言葉に大きく丸印が書いてあります。

病気になる前の自分の生き方に、足りていない言葉。もしくは、今後そうでありたいと思う理想の言葉。だったのでしょうね。

そして、

和の心。
自然に生きる。
旅行案内。

ということばもありました。

「和、然、旅」この時から自分で予言してたようです。

ちなみに、和然旅塾の誕生秘話はこちら。実は和然旅塾はくじ引きで決めた名前なのです。

和然旅塾誕生秘話

7月に書いたメモの言葉が11月に誕生しています。4ヶ月前にはこうなると予想してたのか!?私、すごいかも!?

私にとっての網膜剥離は、これからの生き方を考えるためのある意味休息所でした。本当は病気にならずともゆっくり自分を見つけるのが一番。和然旅塾は、そんな場所を提供していきたいと思っています。

もう病気とはしばらくさよならです!


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