
オーディブルで『傲慢と善良』(辻村深月)を読了。
辻村深月さん著書『かがみの孤城』のときも思ったけれど、私はたぶん、いつも“主人公側”の人間ではない。今回も、主人公・真美に共感するというよりは、彼女に対して距離を置きたいと思ってしまう自分がいた。
Contents
真美の「かまってちゃん」っぽさに、どうしても引っかかる
真美の言動にモヤモヤした理由は、「気づいてほしい」という態度。それがどこか“かまってちゃん”のように映ってしまって、正直しんどい。その世間知らずな振る舞いが、真美の姉の気持ちとも重なって見えて、「あぁ、わたしもこういうタイプ、苦手だな」と思ってしまった。
善良さを疑わない人が、苦手だ
この物語には「善良」と「傲慢」が何度も登場する。
私は「当人同士がよければそれでいいじゃない」と突き放すような態度をとることが多くて、それが自分の中で「善良の仮面をかぶった傲慢さ」だと自覚している。だから逆に、自分を疑わず、正義や善意を真っ直ぐ信じて振る舞う人に対して、イライラしてしまうのかもしれない。善良さは、時に鈍感さや暴力にもなるのだということを、身近な人間関係でも感じてきたから。
たとえば昔、ある同期が、子どもを持たない先輩に対して、「なんであの人、子ども作らないんだろうねー」と悪気なく言ったことがあった。私はその一言に、ぞっとした。もしかしたら、身体的な事情があるのかもしれない。望んでも叶わなかったのかもしれない。
それを想像すらせず、まるで“普通”からのズレを指摘するように放った言葉。本人は善意や好奇心のつもりだったのかもしれないけれど、私にはとても残酷に感じられた。
だから私は、こう思った。
「どうせわかり合えない」「関わっても面倒」私は、そうやって人と距離をとって生きてきたように思う。多分、自分も相手も傷つかないように。そして周りに波風立てないように。でも、それが自分なりの“優しさ”だと思っていた時点で、たぶんもう、私は傲慢だったんだなー。
そして今の私は――
その傲慢さを、変えるつもりはない。
誰とでも分かり合おうとしなくていい。誰かの苦しみに、完璧に寄り添おうとしなくていい。私には私の立場があって、考え方があって、それを知った上で人と関わっていく。
それが、いまの私の自己一致。
でも、だからこそキャリア相談では
……と、ここまで書いておいてなんですが、キャリア相談の場では、こんな“傲慢な私”のままではありません!
人の話に耳を傾けたいし、相手の可能性を見つけたい。「この人は何を感じているんだろう」「どこに向かいたいのだろう」と、丁寧に向き合っているつもりです。
でも、それができるのはきっと、私自身が“分かり合えなさ”や“面倒さ”を知っているから。無理に理解しようとせず、同じ人間であるという前提で、そっと寄り添う。そんなスタンスで、これからもキャリア支援を続けていきたいと思っています。
📚 読了日:2025年7月13日
🎧 オーディブルにて

最終更新日:2025年7月23日 (投稿者:nana)
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