
「気分が乗らない」
「会社に行きたくない」
「仕事がつまらない」
会社員として働いていた頃、そんな気持ちで過ごしていた時期がありました。
そして、そう思う自分に対しても、
「こんな私、イケてないな」
と思っていました。
今振り返ると、仕事に疲れていた自分に、さらにダメ出しをしていたのかもしれません。
当時の私が思いついたのは、
「そうだ、高野山へ行こう。修行をしよう!」
ということでした。
忙しい私と、仕事を離れた友人と
一緒に訪れたのは、事情があって仕事を離れていた友人です。
私は仕事に追われ、友人は仕事から離れた日々を過ごしている。
置かれている状況は違っても、どこか気持ちが晴れず、自分と向き合う時間が欲しい。その気持ちが重なって、高野山の宿坊に泊まることになりました。
普段なら、二人でいると途切れることなくしゃべっているのですが、その夜は静かに写経。

翌朝は早起きして朝のお勤めに参加し、阿字観という瞑想も体験しました。

いつもと違う場所で、いつもと違う時間を過ごす。
私はそこで心を鎮め、自分を律し、気合いを入れ直して帰るつもりだったのだと思います。
修行とは、いかに人生を楽しく生きるか
そんな私の思い込みを変えたのが、金剛峯寺で聞いたご住職の講話でした。
今も心に残っているのは、こんなお話です。
修行とは、いかに人生を楽しく生きるか。
人生には、つらいこともある。
その中で、どう楽しんで生きていくか。
それが難しいからこそ、日々精進しているのだとお話しされていました。
修行って、自分に厳しくすることだと思っていたのに。
もっと我慢して、もっと自分を鍛えて、しんどいと思わない自分になろうとしていた私には、思いがけない言葉でした。
高野山に来て、さらに頑張る方法を見つけるつもりが、「楽しんで生きる」という問いを持ち帰ることになったのです。
日常に戻ってからが、修行
高野山を訪れたからといって、帰った翌日から仕事が変わるわけではありません。
忙しい日もあるし、思いどおりにいかないこともある。
それでも、ご住職の言葉を思い出すと、少し違う角度から日常を見られる気がしました。
私はこの記事を最初に書いたとき、しんどいときこそ「よっしゃ、修行だ!」と思うようにしている、と書いていました。
ここでいう修行は、ひたすら耐えることではなく、その日々の中でどう楽しんで生きるかを考えること。
高野山で聞いたお話は、私にとって、日常に戻ってからも思い出す言葉になりました。
自分と向き合う時間をつくる
あの頃の私は、モヤモヤした気持ちをどうにかしたくて、高野山へ向かいました。
日常から少し離れたことで、いつもの自分の考え方に、別の言葉が入ってくる余地ができたのかもしれません。
自分を見つめ直すために、旅に出るのもいい。
でも、遠くへ行かなければ、その時間が持てないわけでもありません。
本を読んで、自分ならどうだろうと考える。
誰かに話して、自分の言葉を聞いてみる。
いつもは流してしまう気持ちに、少し目を向けてみる。
私が続けている読書会やキャリア相談も、そんなふうに立ち止まり、自分のことを考える時間でありたいと思っています。
「もっと頑張らなきゃ」と思ったときに、
「私はどう過ごしたいんだろう」と問いかけてみる。
高野山で聞いた「修行」の話は、今もそのきっかけをくれています。
働くことや、これからのことを話してみたい方へ
仕事に追われて、自分のことを考える余裕がない。
立ち止まる時間はあるけれど、これからどうしたいのか分からない。
そんなときは、一人で答えを出そうとせず、話す時間を持ってみませんか。
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最終更新日:2026年10月16日 (投稿者:nana)










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